祖父母
今日はじいさんの命日なので、コーヒーを供えた。
命日ならもっと他にも供えろって感じですが、とりあえずコーヒーを。
じいさんは明治生まれで、ずいぶんと前にわたしが物心つく前に亡くなった。(またわたしが若くないことがバレてしまう!)
コーヒーが好きで、自分で豆を買ってきては家で挽いて飲んでいた。
じいさんの娘曰く「ハチミツを入れて飲んでて、みんなはそれをバカにしてたけど、わしゃ死んだ後にわしの凄さがわかるんじゃと言ってた。ほんとね。今ハチミツ入れて飲むもんね」とのこと。
そこそこ変わり者だったみたいだ。
変わり者エピソードは他にもあって、アメリカなんて大国と日本が戦争して、勝つわけがない!わしゃ死にとうないんじゃ!と、当時としては非国民でひっ捕らえられそうなことを言い続けて、結局徴兵から逃げ切ったそうな。
年齢的には徴兵ドンピシャ世代。ただ、免除される職業とか条件とかいろいろあったそう。
健康診断に引っかかるように醤油飲むとかは聞いたことあるけど、そんな身を張るタイプでもなく、職を転々として逃げ切ったらしい。
田舎の小さな村ではあるけど、そこそこ裕福な出だったみたいだから、なんかそういう力関係的なことも作用したのかもしれないけど、今となっては詳しいことは藪の中。
じいさんの家には通いのお手伝いもいたそうだし、正月には芸者を呼んでドンチャンしてたそうだ。
子どもの頃は田舎に行くと遠い親戚からは、「この辺の土地は全部m家のものだった」みたいなことも聞いたことがある。「mちゃんは跡取りだからお婿さん取らないとね」なども。
残念ながら、わたしはお手伝いさんも芸者も土地も見ずじまいだったし、婿取りについては直接何か言われたこともなかった。
一方のばあさんも、大正生まれの田舎者で平成に没するまで着物を着て過ごしていたわりには、革新的な人だった。
朝はご飯よりパン派だし、ビフテキも好んで食べた。
「怪我以外はうつる」といって、食べかけのものを子や孫に食べさせることもなかったし、食器やタオルの共用なんかもなかった。
今でも離乳食と称して噛んだものを食べさせるなんて話を聞いてびっくりした。うちのばあさんすらしなかったけど?と。
おかげで子も孫も虫歯にならない丈夫な歯をもらった。
玉音放送は、皆と一緒に涙涙で聞いたらしいけど「やっと、こんなバカな戦争が終わる」という喜びの涙だったそうで、敗戦の悔しさなんかは全くなかったそうだ。
そんな祖父母の血は、たぶんわたしも受け継いでいて、なんかちょっと変わり者はところはあるんだと思う。
社会にも馴染んでるようで馴染んでいないし、協調性とか人に合わせるのは、なんか苦手だと感じてる。
まぁ、あんまりレールの上を走れていない。今でも。
願わくば大人になってから、ちゃんと彼らに話を聞いてみたかった、話をしてみたかったなと思う。
でも、それは叶わなかったから思える甘美な世界で、実際にもっと長く生きて介護だ〜なんだ〜ってなってたら、日常に紛れて有耶無耶になったり、生活に追われて苦々しく思ったりってことになりかねないことも知ってる。
人生ってままならないもんですなぁ…。